めぐりめぐる。

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男の乳首とメディアクリエイター、という話

「メディアクリエイター」といった言葉が最近よく話題になっているので僕もこのワードについて何か言及しようと思った次第でございます。

 

メディアクリエイターという単語を見ていると、何だか「ノマド」という言葉が世間を流行らせた時のことを僕は思い出す。インターネットが普及してIT機器が充実した昨今において、オフィスに縛られずに自由に仕事をしようぜ!というのがいわゆるノマドワーカーの所以だった。たくさんのITメディアやブログで「ノマドワーカーになろうぜ!」といった記事がWEB上で大量に生産され、TVで報道されたり雑誌にノマドを名乗る人へのインタビューが絶えず行われていた。そんな世間の様子を見ていた時に感じていたことと同様の違和感があるのだった。

 

結局の所、肩書というものは行動の結果に与えられる称号、もしくは識別子に過ぎないのではないかと考えている。例えば僕の知り合いの会社員の話だけど、会社に籍を置いているにも関わらず自身のコンサルティング業務が忙しく国内外で公演をしている人で、一年の内に80日程度しか会社に出社しない人がいる。あまりにも時間がないので、新幹線での移動の最中に資料を作ったり、出張費を有効活用するために出張先で公演後に営業活動をしてその場所に数日留まることもある。会社に毎日出社するのではなく、限りなく自分の生産性やコストの効率化を目指した結果、オフィスの机で仕事をするだけでなく、隙間の時間に喫茶店などで場所を確保して忙しく仕事をする。その結果自分という存在を外から見た時に、オフィスに縛られずに自由に働いてるように見えるというだけなんだよね。彼は別に自分のことを「ノマドワーカーですぞ」なんて言わないけど、ワークスタイルはノマドであることを体現しているわけだ。

 

つまりノマドワーカーは「なりたい!」と思ってなるような性質のものではなく、「なるべくしてなるもの」であったというのが僕の持論であって、今回の肩書問題はそれと同様の話だと考えているわけです。とどのつまり「俺はメディアクリエイターという肩書になるぜ!」という宣言は自分を律する意味では重要だけど、何か自分で行動を起こし少なからず結果を出していない限り無意味なのです。定義できないものは存在しません。少なくとも「メディアクリエイターという仕事」がどんなものなのか認識ができないので、それはこういったものですよ、と説明ができるように励んでいけると良いと思います。頑張れメディアクリエイター。今のままだと男の乳首と同じだぞ!あってもなくってもおんなじだぞ!

 

今日はこれでおしまい。