めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」。最近投資系の記事は「http://www.toshi-meguri.net」で書いています。

金木犀

夕暮れが好きである。朝作った水出し紅茶を飲みながら、高速道路でゆっくりとアクセルを踏んでいく。時速95km。車の流れがよく見える。景色がゆっくりと移り変わっていく。目の前が赤黄色に染まっていき、車のライトと街頭の光が視界に入っては消えてゆき、儚く眩い。

 

調子がいい時は、いろいろなものがよく見える。いつもより視界が広がっていて、すれ違う車の中の様子だとか、空の雲の動きまでハッキリと認識できる。思い切って、普段聞いているBGMを消してみた。車のアクセルの音だけが響き、ハンドルの動きに合わせて車が気持ちよく動く。

 

景色を俯瞰するように、俺自身についても振り返ってみる。正直、いつ死んでもいいと思っているのだ。人生の大まかなライフイベントは済ませてしまった。手元には僅かばかりのお金と自尊心が残った。もはや苦し紛れに生きる信念を紡いでいくしかない。一握の砂よろしく、手からこぼれ落ちていったものを拾う気にもならない。現世を彷徨う亡霊のごとく、執着できるための何かを探している。なんて日だ、などと感嘆したり悲しむことがない。寝る前に1日を回顧しては首を傾げている。

 

孤独に慣れようと思っている。元来人は孤独であり、社会性だのコミュニケーションだの言ってなんだかんだ寂しさから逃れようとしているだけだ。対岸の彼女という言葉は男目線のワードだが、男女の間どころか男同士でさえ完全にわかりあうことは困難だ。自分と一番対話しているのは俺自身なのであり、唯一の理解者だ。つまり己との対話が大切なのであり、自分と向き合わずに外にベクトルが向いていると永遠に個としての俺を失い続けるんだろう。これ以上何を失うのかはわからないが。

 

そう言う意味で最近始めた一人暮らしは非常によかった。一人暮らしは己との対話の連続である。帰路に着く頃、食べたいものを想像し、買い物をして帰る。味付けを自分で決め、お湯を沸かしている間に風呂掃除をし、洗濯を回しながら野菜を切っていく。鍋でパスタが踊っている間にフライパンにほうれん草とベーコン、玉ねぎを炒めて、生クリームとにんにくを入れてソースを作る。水を切ったパスタを具に絡めて食べた。全て自分で決めたものを食べる。これ以上に幸せなことなどないのかもしれない。食べ終えた食器を片付け洗濯を干し、少しばかり残っていた仕事を終わらせたら1日の終わりの時間。窓を開けて少しひんやりとした秋の風を感じながら、今日の出来事と明日のことについて考える。繰り返しだ。常に繰り返しなんだ。

 

赤黄色の金木犀は、そのかぐわしい香りにも関わらず、花弁が小さいことから「謙虚」を示すことがある。夕暮れのように美しく、強い香りを放つこの花は謙虚には程遠い気もする。

 

美しい景色を見た時、想像してもらえるような、あるいはこの景色を、感動を共有したいと思ってもらえるような人になりたい。そう思った時、ふと後ろで、誰かがそっと肩に手を添えてくれた気がした。

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