めぐりめぐる。

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思い入れの強さは新しいものを拒む力になる、という話

FFX(ファイナルファンタジー10)というゲームを最近PSVITAでプレイしています。もう15年前くらい前の作品です。プレイステーション2(以下プレイステーションをPSと略称)用のRPGとして世の中に出てから、HDリマスターされてPS3やPS4、PSVITAで遊ぶことができるようになりました。

僕はこのゲームに異常に思い入れがあるんですよ。幼い頃、家にスーパーファミコンやNINTENDO64といったハード機がやってきて、嬉しくて毎日プレイしていたんだけど、PSだけはなぜか買ってもらえなかった。1994年に無印のPSが発売されてから約7年ほど、ずっと僕はNINTENDO64レベルの3Dポリゴンでゲームをするしかなかった。もちろん任天堂のハードウェアは頑丈で、ソフトも充実していたから長く遊ぶことはできたんだけど、それでも世界の最先端のゲーム技術に触れるような機会は得られなかった。

 

2000年にPS2が発売された時、親父がFFXとPS2を一緒に買ってきた。SONYのごっついハード機を見るのは初めてで、妙に縦長で威圧感があったのをよく覚えている。

 

PS2を起動して、FFXを起動してゲームをプレイしたんだけど、冒頭のシーンでキャラクターが喋るところで僕はびっくりして大声で叫んでしまった。「キャラクターが喋ったあああ!おとうさああん!」美しいグラフィックで描写されていたキャラクターが当たり前のように喋りだしたので、思わず仰け反った。僕が何世代か遅れたゲームで遊んでいたことが原因だったけれど、衝撃が強すぎて脳に電流が走ったようで、頭の中がカッと熱くなった。興奮した頭を冷やしながら、夢中になってFFXをプレイした。たぶん500時間以上は遊んだと思う。

 

FFXというゲームはFFシリーズの中で今でも熱狂的な人気がある。2001年に発売されてから、去年の2015年までずっと新しいコンテンツが世の中に出続けている。こういったゲームはなかなかないのではないでしょうか。

 

PS2のスペックをフル活用したグラフィックやゲームシステムはもちろん良かったんだけど、何よりもストーリーが良かった。「世界一ピュアなキス」というCMも印象的だった。ファイナルファンタジーというゲームを通して、1本の長い映画を見ているような、主人公の人生に寄り添うような、そんなゲームだった。2011年にファミ通が「あなたにとって泣けるゲームは何ですか」とアンケートを取ったところ、ぶっちぎりで一位だったという結果からもわかるように、10年経っても色褪せない記憶として心の中に残り続ける素晴らしいゲームだった。

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まあそんな思い入れのあるゲームだったので、HDリマスターを遊んでいるといろいろな弊害があるわけです。HDリマスターされることで、高画質の表現に耐えられるようにキャラクターがリモデリングされ、別人のようになっているんですよ。さらにほとんどの曲がリメイクされて高音質でより迫力のあるものに差し替えられた。そうすると、脳が拒否反応を示してくる。

 

あそこはこうじゃない、ここが違う、なんだかキャラクターの表情に違和感がある...こんな気持が先行してしまって、ゲームに感情移入できない。間違い探しをしている気分になってしまうんだよね。ただ、最初はゲームを作った側への怒りの気持ちで一杯になっていたんだけど、ある段階からふっとその気持が収まってきて、そのうち反省するような気持ちが湧いてきた。

 

ゲームの製作者側からすれば、HDリマスターという行為すら「創作」であったろうなと思ったわけです。昔の画質では表現できなかったことに挑戦するために、あえて昔の表現を切り捨てて、新たな技術をゲームに取り入れる。それこそがゲームを進化させていくのだろうと。グラフィックを進化させるだけで、後は全て昔の作品です、皆さんどうぞ、というスタンスでは駄目なんだ。「進化したぞ」ということを遊び手に感じさせ、FFXというゲームをまた一歩面白くするための工夫をしたんだぜという試みを受け入れなければいけない。

 

思い入れが強いというのは美しいことだけど、時には技術の進化を受け入れることへの弊害にもなると思ったというお話でございました。