又吉直樹の「火花」から学ぶ、中川家の漫才の素晴らしさ、という話
愛知県名古屋の名鉄百貨店で、名古屋鉄道と吉本興業が企画する「爆笑LIVE!」と呼ばれるお笑いステージが行われます。2015年12月20日(日)と2015年12月26日(土)に開催が予定されていますが、すでに26日の方のチケットは完売しているとのこと。うーん残念。ちなみに出演者はこんな感じ。
2015年12月20日(日) 10:00開場/11:00開演
ロザン/キングコング/はんにゃ/フルーツポンチ/あべこうじ/ダイノジ2015年12月26日(土) 10:00開場/11:00開演
ザ・ぼんち/中川家/千鳥/もう中学生/チョコレートプラネット/ダイノジ
http://mustar.meitetsu.co.jp/information/yoshimoto-live201512/
26日の中川家、見たかったなあ〜。なかなか愛知県で見られる機会なんてないと思って期待したのですが、売り切れなら仕方ないか。それにしても結構豪華なラインナップ。くっそー。誰か見たらレポート書いてくださいね。
さて、タイトルの話に入っていきましょう。中川家と言えばM-1初代王者として名を轟かせて、漫才コント、バラエティなど幅広く活躍していますね。特徴として「モノマネが上手い」ということがよく挙げられますが、僕はモノマネというよりも「日常を上手に切り取った笑い」を作り上げるセンスが尋常ではないと評価しています。
有名で面白いネタがこれ。「パートから帰ってきたおかん」
このネタで笑いが起きるのがすごいと思いませんか。パートから帰ってきたおかんを延々と表現するだけなんですよ。おかんが特別作り上げられたセリフを喋るわけでもなく、日常的に当たり前に存在していそうなおかんを礼二が演じているだけ。なのに物凄く面白い。これはなぜなんだろうと。「こういう人いるよね」と共感させるところから、笑いに昇華させていくところの演技力と発想力がすごくないですか。なんだろうな、「面白いおかん」として表現してるわけじゃないですもんね。「こんなおかんおるね」と思わせてしまうような輪郭を作り上げてしまって、そこにぐっと引き込む力が強い。
これもそう。「携帯電話屋」
結局これってなんだろうって考えると、前僕も記事に書いたけど、又吉直樹の書いた「火花」の小説の中に出てくる神谷のセリフがそのまま腹に落ちるんですよね。
「準備してきたものを定刻に来て発表する人間も偉いけど、自分が漫才師であることに気づかずに生まれてきて大人しく良質な野菜を売っている人間がいて、これがまず本物のボケやねん。ほんで、それに全部気づいている人間が一人で舞台に上がって、僕の相方ね自分が漫才師やいうことを忘れて生まれて来ましてね、阿呆やからいまだに気づかんと野菜を売ってまんねん。なに野菜売っとんねん。っていうのは本物のツッコミやねん。」
【引用】又吉直樹(2015). 火花 株式会社文藝春秋 pp17
つまり、おかんは漫才師なわけですよ。おかんは自分が面白いとわかっていないんだけど、実はとてもおもしろい存在。で、それを表現するのが中川家ということ。おかんという面白い阿呆がいて、それを表現する阿呆(中川家)がいるという構図がある。本物のボケというのはただそこにあり、「作られるものではない」「鋭い観察眼を持って浮き彫りにされるもの」ということになります。
ひょっとしたら客も気づかないようなものも自分達で表現するというのが中川家の凄い所であり、「THE お笑い」ということになるのだと僕は思います。いやー、お笑いは奥が深い。