めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」。最近投資系の記事は「http://www.toshi-meguri.net」で書いています。

「ネットで調べれば大抵のことはわかるじゃん」という思考の罠

「今の時代、インターネットがあるから調べればわかるし、本なんか買う必要ないよね」なんて最近知り合いから話を振られまして、いや全然そんなことないでしょうと思ったという話をつらつらと書きたいと思います。

 

なんでしょうかね、インターネットがあるせいなのか知りませんけど、謎の万能感を持った人が多いなあと思うわけです。まるで自分の能力のなさをインターネットが補完してくれていると思っていて、「わからないことがあっても、覚えていないことがあっても、何とかなります」と考えている人を時々見かけます。

 

インターネット上で得られる知識は基本的に「ざっくりとした情報」であると認識したほうが良いです。そこに書かれている情報が正しいかどうかを書き手が保証してくれるわけではありません。さらに、その情報が物事の本質に触れているかどうかもよくわかりません。無償で簡単にたどり着ける情報には特に気をつけたほうが良い。適当に書きなぐっている可能性が高いからです。

 

一つ例をあげましょうか。僕がIT企業でソフトウェアを作っていた時に、プログラムの書き方がわからなくてキーワードを入力して検索することがありました。あるいは開発環境が警告するエラーメッセージの意味がわからなくて調べるとかね。そうすると、たくさんのブログの記事が出てくる。で、よくよく中身を見てみると、どのブログもだいたい同じようなことが書いてあって、しかも解決方法や内容が間違っている情報にたどり着く。これはどういうことかと言うと、ある発信元のブログの情報があって、(この情報が間違っている)そのブログの内容を信用した人がその情報を引用してまた情報を書くもんだから、インターネット上に間違った情報が散乱する。ゴミだらけになる。ひどい世界が広がっている。

 

ブログにかいてある情報は「自分のための覚書」であったり、「ちょっと親切のために書いた情報」であることが多く、そこに一切の責任はない。ろくに検証もされず、適当に書かれている情報がとても多い。その情報を鵜呑みにして行動しても、失敗したり、わかった気になっているだけで、あとで恥ずかしい思いをするだけだ。

 

昨日ツイキャスでクックパッドの話題について話をしていたんだけど、このサービスも同じだよね。素人が大量にレシピを投稿しているけど、料理の仕方や味付けが間違っているものがあるし、わけのわからない創作料理がわんさかある。インターネットのノイズを増やしているだけだと思う(もちろん素晴らしいレシピもたくさんあると思うけど)。

 

堀江貴文さんとクックパッドの2代目代表執行役の穐田誉輝さんとの会談の記事がインターネット上で読めるんだけど、その記事の中でこんなコメントがあって、「おいおい正気かよ」って思ってる。

「それで、クックパッドみたいに便利なものがあるのに、なんでみんな料理本を買うんだろうって不思議に思ってたんですよ。」

ホリエモンWITH 「献立をエンターテインメントとして提供したい!」『クックパッド』穐田誉輝が語る“食とレシピサイト”の未来とは? その2 | ホリエモンドットコム

 

料理本は「誰が責任を持って書いているのか」わかるし、本が世の中に出されるまでに様々な検証がされ、専門家からの指摘を受けて内容が磨かれ、文章が推敲されて初めて僕たちの手元に渡ってくる。そのような信頼性のある情報は、インターネット上で簡単に手に入るものじゃない。

 

僕の結論としては、インターネットは知識を得るための「入り口」としてはとても素晴らしいツールだと思う。だけどそれより先は、やっぱり人に直接話を聞いたり、物事が要約された薄っぺらい解説本ではなく原典が書かれた本を読んだりして、知見を広げていくことが大切だ。

 

今僕は失業中なのだけど、「失業 最初にやること」ともちろんインターネットで調べる。そうすると、「何をしなければいけないのか」キーワードがわかる。でもそれ以上行動しなければ、薄っぺらい知識を得るだけになってしまう(失業したらいくつかの手続きをする、という事実しか知ることができない)。でもそのあとに「厚生年金」「健康保険」「失業保険」「年金」などについて、社会の仕組みはどうなっているのかという根本的なところから知見を深めようと図書館に通っている。こういった癖をつけていかないと、何も考えずに社会の仕組みに翻弄され続けると思っているからだ。

 

それじゃあ、またね。