死ぬなら今、という話
皆さんは、布団に入ったらすぐに眠れますか?
僕は平日の夜は疲れていればあっという間に眠れるのですが、なぜか休日の夜だけは妙に興奮してしまって全然眠れません。寝る時間が惜しいという気持ちが強くなってしまうのか、脳が覚醒してしまいます。
そんな時はだいたいラジオを聴いたり、音楽を聴きながら眠ろうと努力するのですが、最近は落語を聴きながら眠るのが僕のトレンドです。そして落語を聴いていると、自分が一生懸命に落語を練習していた時のことを思い出します。
大学時代に落語研究会に入っていた僕は、6つとか7つとか持ちネタ(落語を暗記していて、人前でできるもの)があって、老人ホームや大学の一室を借りてよく落語を演じたものでした。
僕が人前でやった落語の中で特に好きだったのが、「死ぬなら今」という演目です。
落語というのはその名前の通り「落ちのある話」で、ダジャレ落ちだの考え落ちだの様々あって、物語が進んでいって最後に「下げ」という物語の終着点のようなものがあるのですが、その下げを先にバラしてしまうというのがこの話の面白いところ。
「死ぬなら今」という話を簡単に説明しましょうか。
昔あるところにケチベエさんという大変名前の通りケチな人がおりました。その人は商売上手で、一代で大きな財産を築きました。しかしその反面、人に言えないようなたくさんの悪事をしてきた。
ケチベエさんは、こんな自分が天国に行けることはないだろう、自分は地獄に落ちるのだと確信していました。そこで息子の孝太郎を枕元に呼び、こう言います。
「地獄の沙汰も金次第なんてことを言うだろう。六文銭の代わりに、わしの棺桶の中に100両入れてくれ」
孝太郎が必ず約束を守りますと伝えると、ケチベエさんはほっとしたのかすぐに死んでしまいます。
さあそして孝太郎は親父の言うことを守ろうとし、棺桶の中にお金を入れようとするのですが、親戚の人に止められます。
「100両だなんてもったいない、小道具なんかで使う偽の小判でも入れておきなさい」
そんなことを周りの人に言われて、孝太郎も勿体無いと思ったのか、結局偽物の小判を棺桶に入れてしまう。ケチベエさん、そんなことは露知らず地獄にいっちゃった。
さあ地獄に落ちたケチベエさん、目の前に現れた閻魔大王、左右に赤鬼青鬼、地獄中の役人という役人がずらっと並ぶ様子を見て、気を失いそうになる。
と、そこでふと思い出します。
「そうだ、この小判を使って閻魔大王に情状酌量を願おう」
ケチベエが閻魔大王の袖の下に(偽の)100両の入った包みを投げ入れると、閻魔大王がすっかりご機嫌に。
「お前のような悪人は、灼熱の地獄に落としてやろうと思ったが・・・ぬるま湯にしとこう」なんて甘いことを言い出す。
さあこうなると地獄は大変。賄賂で天国に行けたケチベエさんがばら撒いた100両が地獄中に回り回って、それはもう大変な好景気に。
その回り回った偽の小判を、極楽の役人が見つけます。
「このような小判を出回らせてしまうなんて、閻魔大王はなんと不届きなやつだ。地獄の役人まとめてひっ捕らえよ!」
閻魔大王をはじめ、地獄中の役人が牢屋にぶち込まれてしまったので、地獄は空っぽ。
「死ぬなら今」
という話なのです。大学で落研にいた頃、先輩が一席やっていたのを見て、思わず「おおっ!」と声が出たのをよく覚えています。とても僕にとって印象深いお話です。
まるで自分が謎解きをしたかのような感動と、話の終着点の意外さが魅力的で、あまり興味のなかった落語にのめり込むきっかけとなりました。
興味のある方は、是非聞いてみてくださいね。