めぐりめぐる。

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山崎方正が「月亭方正になるまで」という話

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山崎方正が「月亭方正」になるまでの過程が書かれています。いじられキャラとして確固たる地位を獲得している方正ですが、結構「自分一人では何にもできない」ということを真剣に悩んでいたようですね。外から見ていると、方正というキャラクターがいることで起きている笑いというのはたくさんあるのだから、そこまで落ち込むことはないというか、ドラマで言うところの「全ての人が主演であるわけではない」というところがあると僕は思っていて、脇役なりの活躍の仕方があると考えているんだけど、本人にしてみると地獄のような自己嫌悪があるのかもしれないですね。

 

僕からすると落語の方がしんどい道というか、「自分一人で何もかも作り上げる」ということをしなくてはいけないので、余計茨の道だと思います。傲慢なんですよ落語は。どこまで言っても最後はその人一人の芸になっちゃうから、客を笑わせる、楽しませるという責務が重くなり、その重圧に悩むようになる。「ウケなかったのは完全に自分のせいだ」という事実を露骨に突きつけられる。

 

昔僕が大学で落研に入り落語をやっていた時に、ある女の子からこんなことを言われた。「一人でやるお芝居なの?寂しいね。面白いの?」僕は落語が好きだったし、一生懸命やって頑張っていた頃だったからムッとしたのだけど、ただ何も言い返せなかったのを覚えている。寂しくはないが、孤独な戦いだよなとは思った。一人黙々と台本に向かい、鏡の前で練習する。「人前に出て、お客さんを楽しませたい!それは僕一人の力でも達成できるんだ!」そんな想いと、それ以上の不安を抱えながら、孤独に孤独に練習する。

 

舞台に立つと、全てのお客さんが真っ直ぐ自分を見つめている。その恐怖感と、妙な高揚感。あれは確かに落語独特かもしれない。お客さんの期待している視線が身体に突き刺さり、痛いほどだ。顔が引きつり、笑顔で話せているかわからなくなる。声は震えていないか、滑舌はいいだろうか。そんなことを考えながら、気づいたら自分が覚えた言葉が口からすらすら出てきて、止まらなくなる。

 

「みんな、俺を見ている」そう感じる。顔や手を動かすと、お客さんの視線も移動する。気持ちが悪い。空気が揺れるのだ。お笑いでカメラ向けられているのとはまたちょっと違った感覚だろう。そしてその感覚に慣れてくると、だんだんと自分が自分でなくなるような気がしてくる。落語の語り手として存在する自分を脳が認識しているような気分だ。調子がいいと、自分を客観視している自分を真上から見下ろすような感覚を得られる時があった。そういう時は、上手に芸ができた。方正はどんな気分で落語をしているんだろう。いつか聞いてみたい。

 

方正は芸能界に入って20年、そして落語の世界に飛び込んで2年だそうだ。今まで自分が学び、獲得したものを踏まえて、彼がこれからどんな落語を作り上げていくのか、楽しみでしょうがない。