めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」。最近投資系の記事は「http://www.toshi-meguri.net」で書いています。

読んだことのない本を読むのにチャレンジしようよ、という話

社会人になってから、本を読む機会が少なくなった。というよりも、本を読む時間を作ることが難しくなったというべきかもしれない。

 

平日は朝から夜遅くまで働き、残りの時間から自分の生活を維持するための様々な活動の時間を引くと、ほとんどまとまった時間が取れないからだ。これはひどく悲しい。でも風呂に入ったり食事したり睡眠を取る時間を削るわけにもいかないので、半ば諦めているところがある。

 

高校生や大学生の頃はよく朝から晩まで本を読むことも多かったけど、その時と比べると極端に自分の趣味にかけられる時間が減った。物事には全て細かく優先順位を付けなければならなくなり、延々と後回しになってしまうようなことは少なくない。

 

本の読み方も随分と変わった。新しいジャンルに挑戦し、読んだことのない読者の本を読むことが限りなく少なくなった。なぜなら「失望したくないから」である。

 

時間が限られているから、本に「絶望したくない」

生きている時から自分の時間は有限であるから本当はこういった論調もおかしいのだけど、社会人となり、自分で家を借り、生活を維持していくための努力をしなければいけなくなった今、昔よりも自由が効かなくなった。

 

そうすると、一生懸命に自分が確保した時間が愛おしくなり、その時間をくだらないものを読んで浪費したくないという防衛本能が発揮され、結果「以前に読んだことのある本を繰り返し読む」ということに落ち着いてしまっている。その習慣を、何とかしたいと思う。

 

時間が有り余っている時は良かった。友人に進められたり、世間で話題になっていた本を片っ端から読み、新しい発見があったりなかったり、失望したりしながら、読書という行為を純粋に楽しむことができた。でも今は読書の時間の中で自分に学びのあるもの、もしくは素晴らしい感動を与えてくれるものでないと納得がいかない。「時間を返して欲しい」と感じる。要するに随分ハードルが上がってしまったのである。だから僕は同じ本を繰り返し繰り返し読むという習慣からなかなか抜け出すことができずにいる。こういう気持ち、皆さんの中にもありませんか。

 

僕の実家には本が50冊ほど置いてあって(今住んでいるところには数冊しか持って行かなかった)、ほとんどは小説なんだけど・・・全て「人生で3回以上読んだ本」だけが並んでいる。本によっては10回、20回読まれたものもある。何度も読み返したいと思い、読む度に発見のある本でなければ本棚に置く意味はあるまい、と思っているからだ。そしてそれらの本に対しては、僕は「信頼」を感じているわけだ。僕が高校生、大学生、社会人となり、ある意味で僕の人生の時間の洗礼を受け、生きることに関する根本的な考え方が大きく変わっても、本の中で生き続けているストーリーに感動し、温かみのある読後感を与えてくれる。ゲーテ、トルストイ、ヘミングウェイといった洋書から、浅田次郎、村上春樹、村山由佳・・・後何があったかな。こんな本達に囲まれて幸せだとは思う。だけど、自分が周知している範囲のことだけを読み返していても、成長がないと最近危機感も覚えている。そんな中で最近ブログを通じて様々な人達の発信する情報に触れることで、少しずつ考えが変わってきた。

 

ブログを始めて、少しずつ自分に変化が生まれてきた

はてなブログを始めてから1ヶ月半ほど経つけど、信頼のおけるブロガーさんがお薦めしている本を手に取って読むことが増えた。手当たり次第読むのではなく、ある程度内容について言及され、「読む価値があるかな」と思えたものだけを選ぶようにしているので、今のところ大外れということは経験していない。

 

自分の未知の分野にチャレンジしようとすると不安だけど、「普段面白いコンテンツを提供している人の紹介する本」という泊がつくと安心ができる。Amazonの口コミレビューよりは幾らか信頼がおけるし、何よりもブログというメディアを通じてきちんと「読後感」を表現してくれているので、自分がその本を読むことで得られるものが大きくズレないことを期待できる。それが良い。

 

せっかくこうしてはてな界隈に身を置くわけなので、このメリットを最大限生かして読書を楽しみたいと思う。また、読んだ本を「面白かったな」で済ますのではなく、「読後感」としてきちんと文章にし、何を学べたか残すようにしたいと思う。こういった記事は、自分にとっても、読者の皆様にとっても、きっと役に立つはずだから。