めぐりめぐる。

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ショウペンハウエル「自殺について」感想

僕は「生きることなんて簡単だ」「人生なんとかなる」といった言葉が大嫌いだ。基本的にまっとうに生きるという行為が多くの苦痛を生み、僕自身が「生」に深く縛り付けられていると常日頃感じている。勘違いをしてほしくないので言及しておくと、僕は僕自身を産んでくれた、育ててくれた両親に対して物凄く感謝している。この世に生を受けたことで感じられる様々な恩恵を僕は享受しているわけだし、日々感じる幸福や不幸に対しても人間として生まれてきたからこそ得られるものであると思っているわけだ。ただ、僕が生きてきた中でどうしても「生きることに関する困難さ、厳しさ」というものから常に付きまとわれ、苦しんでいるというのもまた事実なのだ。だから僕はこの苦しみ、あるいは人間の原罪と呼んでも差し支えないのかもしれないものに対してどう向き合っていくか非常に悩んでいる。

 

世界に満ち溢れている苦しみは、「生きることの困難さ」からきているものであって、その苦しみに際限はない。全く関係のない海外で起きているニュースを見て、それを自分のことのように感じ、苦しみテンションが地の底まで下がる人間がいるように、我々には無限の感受性がある。しかし面白いことに、苦しみを感じるアンテナは優れていても、幸福を感じるアンテナはそれほど優れていない、いやそれどころか喜びを感じる能力は非常に限られているというのがショウペンハウエルの考える人間という生き物の姿だ。

 

例え話として、人間は「自分が健康であることを感じることはない」と言及されているのだけど、本当にその通りだと思う。我々人間が感じることといえば、生きる上で障害に感じること...例えば足をぶつけて痛いとか誰かと喧嘩して心が痛むとか将来が不安だとかそういった不幸に感じる痛みだ。自分が心も身体も健康であることを感じ、幸福を感じるのは「健康を失って初めて気づく」ことが多い。僕はたまたま五体満足で生まれてきたが、五体満足で生まれてきたことに対して幸福を感じたことはそう多くない。五体不満足で生まれてきた人間を見て、あるいはそういった事象に触れられた文章を読んで、はじめて「ああ自分は幸福であったのだな」と思うだけだ。やっぱり人間には幸福を感じる能力が著しく欠如していると思わざるをえないのである。

 

とりあえずまだ全て読めていないけれど、ショウペンハウエルの考え方にひどく共感できる人はこちらを購入すると良いだろう。原文ではなく、「余禄と補遺」というショウペンハウエルの生前に書かれた最後の本のまとめになっていて、読みやすい(というかボリュームがほとんどない)。また全部読めたら自分の中で結論を出して、また記事にしたいと思う。今日はここまで。