めぐりめぐる。

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きっと泣いてしまう

最近、父親に会う度に、その背中が大きく逞しく見える。人生50余年、その長さの重みがようやく僕にも見えるようになってきたのだろうか。

 

思い返せば、幼少期の頃から父親にはかなわないなと思う瞬間があった気がする。父親は常日頃から勤勉であったし、僕はそうではなかった。父は愚痴を全く零さないが、僕はそうではなかった。劣等感とはまた違う、たぶん尊敬に似た畏敬の念を僕は抱いていたのだった。

 

僕は毎日人生は辛いものとして享受しているのだけど、父親はまた違った受け入れ方をしている気がする。人生の楽しさもキツさも同等に扱っていて、あまり起伏がない。ありのままを受け止めるタフさがあった。

 

「大抵のことは何とかなるって思うぞ」と父親。英語が全く話せないのに四年間の海外出張が決まった時、さすがに顔を顰めていたけれど、半年後に遊びに行ったら現地の人間と互角に渡り合っている姿を見て、頭が上がらなくなった。

 

言葉数が多くはないけど、行動で示す。印象的なエピソードはないけれど、いつも勤勉で何事にも動じない父親の背中をみて僕は育った。

 

一度だけ、強烈に怒られた記憶がある。確か僕が煙草を吸い始めた時で、正座をさせられて思いっきり叩かれた。僕が感情を爆発させ、鬼のような形相で父親を睨めつけた時、「そんな風に人を睨めつける男に育てた覚えはない!」と怒鳴られた。目が真っ赤で、瞼に涙がたまっていた。今でもこの瞬間を思い出すと、たまらない気持ちになる。

 

自分の息子に憎悪たっぷりで睨まれたら、僕はきっと泣いてしまうだろう。親父もきっと今の僕のように、今後子供に対して自分が何を残せるのか真剣に考えていただろう。身につまされる思いだ。多分ぼくもいつか、めぐりめぐって子供に辛い当り方をされるのだろう。因果応報だ。受け入れるしかない。子供を育てる親の責任と、子供の残酷さと。

 

最近父親の白髪と顔の皺が増えた。思い出の数だけ、証が刻まれていくのだろう。「頑張ったんだね」そう声をかけるには僕はあまりにも未熟な存在だ。肩を揉もうか。そう声をかけ、父親の話に耳を傾けることしか僕にはできない。