めぐりめぐる。

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【落語】「おあとがよろしいようで」はどんな時に使うのか、という話

 

nakakenさんが以前こんな記事を書いていらっしゃいました。

おあとがよろしいようで、の意味を勘違いしていた | 今日も8時間睡眠

「おあと」はオチを言った後のことだと思っていて、オチを言ったので自分は引っ込みますねという意味だと勘違いしていた、というお話でした。

 

で、本当のところはどういう意味だったかというと、「おあと」というのは、「後の人」、つまり、次に出てくる落語家のことを指していたんですね。「よろしい」というのは、「準備がいい」ということ。あわせると、「次の人の準備が整ったから、私はもう帰りますね」ってことだったみたいです。

おあとがよろしいようで、の意味を勘違いしていた | 今日も8時間睡眠

実際は上で引用させて頂いた通りで、後の人の準備ができましたので、私は帰りますという意味になります。でも皆さん、じゃあこの言葉をどんな時に使うのか知りたくならないですか?知りたくなりますよね。知らなきゃ損ですよね。というわけで少しご説明を致しましょう。(なんだこれ)

 

まずあるのが、落語自体が催し物の前座として行われる場合に「おあとがよろしいようで」という言葉が使われることがあります。どういうことかと言いますと、落語自体がオマケであり、後から控えている余興自体がメインということがあるわけですよ。例えば地域のお祭りの前座として呼ばれたりとかね。

 

お祭りって、様々なハプニングがあるでしょ。機材のトラブルだったり、祭り自体の進行が上手くいかなかったり。そんな時に、例えば自分が与えられた時間が削られるということがあります。例えば30分の枠をもらっていたから30分の落語を喋る準備をしてきたのに、進行の関係で半分の15分になってしまうことがある。そんな時に、落語を最後まで演じずに、盛り上がった所で「おあとがよろしいようで」と一言述べて高座を降りるということがあるのです。

 

実は正式な落語会でも似たようなことが起きます。例えば3人が1席ずつ(落語ではネタのことを一席と読んだりします)、計1時間の枠を持っていたとしましょう。その時に、一番始めに出てきた下っ端(これを前座と呼びます)が持ち時間10分のところを20分やってしまった。そんなことがあります。お客さんの反応が悪く笑いが起きなさそうだということで、落語の前に喋る小咄(枕といいます)が長くなりすぎて、大幅に時間オーバー。そんな時、どうすると思います?

 

トリとして最後に出てくる師匠の大ネタの時間を削減させるわけにはいきませんから、2番目に出てくる落語家が自分のネタを短くするんですよ。先ほど言った通り、ある程度盛り上がったところで「おあとがよろしいようで」と。又は「この後◯◯とお話が続きます。◯◯(落語の名前)というお話でした。」と短く切ったことを暗に示したりする。粋ですねえ。

 

落語を上手に短くして、不自然なところがないように話をうまくまとめてオチをつける落語家も中にはいらっしゃいますが、これはなかなか難しい。そんなわけで、この「おあとがよろしいようで」という口上が役に立っていると言うわけです。面白いねえ。