めぐりめぐる。

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サンタクロースが死んだ朝に

僕のサンタさんは、小学三年生の冬に死んだ。

 

幼い頃において、サンタクロースという存在は大きい。絵本の物語よりも遥かにファンタジーで、ココロオドル存在であった。少年少女が大きくなっていく過程で、化けの皮を剥がしていくかのようにサンタクロースの存在に疑問符がうたれるようになっていく。「信じるのも信じないのも、あなたの自由です」そんな風にほくそ笑んでいる、赤い服を着たおじいさんが、一切の見返りを求めず、せっせと街じゅうの子供達にプレゼントを運ぶ姿を夢に見る。心優しく、摑みどころのない存在が、身近に感じられる。それは素敵なことだと思う。

 

そんな風に存在するものがあってもいいじゃないかと僕は思っていた。周りの人間がサンタクロース信奉者を血祭りにあげる様子を眺めながら、僕は一切を言葉にせず、ただじっと自分の心の中にサンタクロースの居場所を作ってあげていたのだ。ここにいていいですよって。それはまるで机の引き出しに鍵をかけ、大切なものをしまっておくような感覚だった。

 

そして、小学三年生の冬がやってきた。僕はいつものようにサンタクロースへお願いする紙を書いた。確かゲームボーイアドバンスが欲しいとか、そんな感じのお願いだったと思う。そうしたら、クリスマスイブの翌日、母親にこう言われたのだった。

 

「もうサンタクロースなんて信じてないよね」

 

この言葉はきつかった。きっつー。クリスマスの間我が家を照らしていた幸福感が消滅し、心の中のサンタクロースの思い出が砕け散った。僕は謝って欲しかった。「本当はサンタクロースなんていないんだ、父親と母親で演じていただけなんだよ」そう言って欲しかった。でもかけられた言葉は「信じてないよね?」だった。当然知ってるよね?みたいなニュアンスで。なんだか今まで家庭内で行われてきた行事が、無意味なものに感じられたのだった。

 

サンタクロースが死んだ朝に、父親の黒いヒゲを白く塗ろうと思った。どうせなら、死ぬまで騙し続けて欲しいと思ったのだ。小学校の図工の時間で使っている絵の具セットを出した。でも、ちょうど白い絵の具が切れていて、何もかもがどうでもよくなってしまった。父親の丸まった背中に雪をぶつけようと思ったけれど、その日は快晴で雪一つなかった。その時僕は、たぶん虚無感という言葉を覚えた。実感として、覚えたのだった。