それでも僕は妻に愛して欲しかった
「あなたのことは夫として好きです」
こんな悲しい言葉ってあるだろうか。本人にそんなつもりはなくても、男には膝から崩れ落ちてしまうほどの衝撃が走る言葉だ。
僕は妻に男として見てもらえていないのだ。それがひどく悲しい。子供が産まれると女の人は変わってしまうというが、本当にひどく変わってしまった。母親になってしまった。いや、母親にしたのは僕だった。僕が彼女を母親にした。妻にした。責任は全て僕にあった。
僕は妻を妻としてではなく、女として扱っていた。一人の女として彼女が好きだったからだ。だから彼女は僕が予想以上に妻として彼女を見ていないという事実にひどく驚き、動揺していた。お互い、ボタンの掛け違いがあった。一度掛け違ったボタンは、優しく一度解いてあげないかぎり、元には戻らない。永遠に、掛け違った、間違ったままだ。
「つまり僕がしていたのは、家族愛的セックスだったっていうこと?」
僕がそういうと、彼女は肯定した。夫として好き以上の感情はありません。僕はその言葉にひどく傷つき、激しく泣いた。泣き叫びながら自分の部屋に行こうとしたが、彼女は止めようとしなかった。つまりこれはまぎれもない真実だったということだ。それがひどく悲しく切なくて、僕はもっと泣いた。泣くことしかできなかった。
彼女を妻にしたのは僕だが、僕は妻である前に一人の女性としていて欲しかった。僕には「妻である君は好き」という感情がないからだ。「女として好き」はある。ずっと恋愛をしていたいのかもしれない。恋愛体質なんていうと陳腐な言葉だが、ほかに的確な言葉も見つからない。
彼女はどうしようもなく母親で妻だったし、僕はそれが嫌だった。
僕はどうしようもない夫だし、夫としての自覚もなかった。
ただ、子供がいる、というだけだと思っていた。
でも、違った。
違ったのだ。
家族になってしまった。
家族になるって、こんなに悲しいことなの?
世界の歌姫達はあんなにも美しい言葉で結婚や家族について唄うのに、あれは嘘だったの?
受け入れるのに時間が必要だ。
いや、受け入れる必要があるのだろうか。
時間が解決する物事なのだろうか。
時の洗練を受けた家族は、ドラマで見るような美しい姿になるのだろうか。
誰か、教えてくれよ。