依頼主のせいではなく、ライターが適当なケースは見ればすぐわかる
まあ昨日こんな記事を書いたんですけれども。
今日は泣きながら5時半に起きて、一生懸命書くべき内容をリサーチして、7時には一応納品できた案件があるわけですよ。その時にいろいろと考えてね。
あのね、所詮ね、適当に書こうと思ったらかけるんすよ、僕らはね。例えばランサーズのメリット・デメリット・仕事の上手な受け方・ライティングのコツ・会員登録方法みたいなものを、一切体験せずにかけるの。それができないのはね、想像力の欠如なんよ。書こうと思えば、僕たちはなんだってかける。
ただね、その程度の記事しか書けんのよ。俺たちはね、人間の心理についてはかけるかもしれないけど、「人間」について書けって言われたら書けないよ。そういう絶望を抱えながら生きてるの。「完璧な文章など存在しない」ってどっかで思ってて、苦しみながら一言一句紡いでいくわけよ、文章を。
決して繋がることのない文章を、一生懸命セメントで固めていくわけよ、辛いけど。そういう仕事なんだよ。
で本題なんだけど、例えば5000円の記事に20時間かけちゃだめなわけだよ。食えねえから。それは自己満足だからね。とにかく生産性は重視して、食いっぱぐれないようにしないといけないわけ。ただその時に、手を抜くやつがいるわけよ。で、それは同業ライターからしたら一発でわかるわけ。
飯のレビュー記事読んで「あ、こいつ食ってねえな」ってわかるんだよ。それはもう直感でね。食ってないなりにかける記事ってのがあってね、これはもうテクニックなんだけど、やりようによってはできるわけよ。ただ、その程度の仕事でいいのかって話なだけで。
俺はそういう適当な仕事するライターを100人ぐらい知ってるけど、マジで量産型クソ文章が出来上がっちゃうからね。所詮俺らは裏方だけど、インターネットの海とか雑誌の記事に残るわけよ。それでいいの?って思うね。俺はそう思うよ。
やっぱりね、ちゃんとリサーチしたり、取材した文章は面白いんだよ。気持ちの入り方が違うんだわ。自分を殺す量が減るわけ。この間言ったけど、ポエム書くなら120%でかけるけど、外注ライターは自分を殺して書く作業だからね。
ただ、一生懸命に書いたっていう想いは依頼人に伝わるし、伝えるわけよ。
「俺はSEOで上位の記事読んだけど総じてクソだったから、この部分に厚みを持たせて書いたよ、でももう少し文章量減らしたかったりしたら言ってね。推敲するから」って加えるわけ。
仕事ってそういうもんだろ?
なあ、その積み重ねなんだよ。地獄なんだけど、地獄なりに頑張ると次に繋がるんだよ。諦めずにさ、もう少しまともな文章を書こうぜ。
(ライティングタイムアタック 1:48:32)