めぐりめぐる。

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俺はもうめちゃめちゃに走って逃げた

昨日の23時頃、三十路目前にして初めて家出をした。実家には療養でいたが、療養にはなっていなかった。

 

とにかく、怒られるのが怖いのである。適応障害なので。薬を飲み忘れたりあちこちに置いたり無くしたり、衝動性から電話をかけまくって倒れたり。そのことについて問い詰められるほど、僕はおかしくなった。

 

そして風船が破裂するように僕の衝動性がMAXになり、友達にヘルプコールを送ったあと、叫ぶ母親を押しのけて家を出た。それはもう競技選手なみに走った。途中で妹が待って!とつらそうに叫んだが、僕は聞こえないふりをして走った。時々ついてきているか振り返りながら、慎重に裏道を選び、とにかく走った。

 

そのうち、なぜこんなことになったのか考えを巡らせたが、考えはまとまらなかったし、まとまるはずもなかった。環境に適応できないからだ。躁鬱が激しいからだ。衝動性が抑え切れないからだ。とにかく走ったあとは、ゆっくり歩き、水を少しだけ飲んだ。喉がとにかく痛くて、息が上がっていることを認識した。

 

捜索願を出される一歩手前だったが、友達が間に入ってくれて、今はその人の家で療養している。非常におだやかな日々だ。あいかわらず衝動性があり、人の家を掃除したりスロットをしたりしている。ただ、前よりはマシだ。

 

親がかわいそうである。自分を責めることはいくらでもできるが、親を慰めることは容易ではない。誰も悪くないのだが、神が仲裁してくれるわけでもない。これが人間の地獄、原罪からくる苦しみであると僕は思った。

 

あと最近は手を切ってしまう人の気持ちがよくわかるようになった。言語化しよう。例えば君に電話をかけたい相手がいるとしよう。家族、恋人、友人。なんでもいい。出てくれない、あってくれない。そう思うと、切ってしまうのだ。僕はまだそんなことはないが、状況が悪化したら容赦なく腕を切るだろう。当てつけか、痛みを感じたいのかわからないが、そうしたい気持ちはよくわかる。病んでいるやつはそういう感覚を持っていることをみんな理解したほうがいい。

 

とにかく、体調に波があり、また衝動性やこだわりがあるため、やりたいようにやらせてくれるのが一番なのである。怒られると、だめだ。もう、どうかなってしまう。だから一人になりたいと親に伝えたのだが、うまく伝わらなかった。療養できないのはなぜだと思ったのだろう。朝から晩まででかけるのが気に入らなかったのだろう。僕は家にずっといると鬱々としてしまうし電話をかけまくって倒れてしまうから、むしろよかったのだが。人と人とはわかりあえないものだ。

 

そんなわけで、居候で御座候というわけだ。今は楽しくしている。だからもう、俺のことを怒ったりする人には近づかないで欲しい。頼む。平和な日常を望んでいる。