めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」。最近投資系の記事は「http://www.toshi-meguri.net」で書いています。

激動の2018 なるようになるではない。物事は悲しく帰結することがあると知れ。

激動の一年であった。

 

大胆な引っ越し、慣れない子育て、仕事に、追い込まれて休職、メンタルが崩壊し実家に行くも二度の家出、友人の家でも家出をし、気づいたら適応障害ではなく、そもそも発達障害であることが判明。俺は俺たる所以を失い、旧友を失い、所得を失い、家庭も壊した。何もかもが破滅していった。

 

今は多少落ち着いているが、油断を許さない状況だ。「仕事をしてなんとか生きよう」「所得がある程度あれば家を出られるだろう」「みんな子育てをやってるし、うちもやろう」そんな曖昧なニュアンスで、俺は28年生き、こうなった。

 

今日好きなカフェで隣の男の妻が妊娠したという話を聞き、祝福したのだが、引っかかる一言を俺に放ち、誰にぶちまけることもできない激情で溢れかえった。

 

「俺が産むわけじゃないですからね。それに産まれてからもなんとかなりますよ。ふっ」っと言い放ちやがった。その言葉の軽さたるや。てめえ一度地獄を経験してみろやと俺は思ったよ。

 

なんとかなる、という言葉がその時、俺の中で最も嫌いになったと感じる。なんとかなるのではない。万物はなんとかなってしまうのである。結果を受け入れられるか、その一点のみが真実である。

 

五体不満足で産まれてきても、その涼しい顔がてきんのか?夫婦の関係が悪くなっても、すぐ持ち直せるのか?自信満々に言いやがって、嫌な奴だと俺は思った。「生きていくのが不安で…」というやつの方がおれは好きだ。ネガティブでも愛想があれば人に助けられる。おれはとにかくこの分かりきったような、すましきった野郎が嫌いである。

 

一度起こってしまったある種の物事は、セメントのように固まってしまい、うごかない。破壊するしかない。それもお前、受け入れられんのかよ。と、おれは思うね。死ぬのが怖い、生きるのが怖い、人を育てるのが怖い、やったことがないことをやるのが怖い、そうやって悩み苦しむやつこそ人間だろ。