「犬は吠えなきゃじゃん」
「私魚さんになりたいんだ〜」
と女は言った。意味不明だったので、質問を投げる。
「食べられたいわけ?」
「違う違う、水槽で飼われる熱帯魚だよ」
「ああ、そういうことね」
飼われたいタイプなのかな、と僕はよく知らない彼女について思いを巡らせた。
でも彼女は年に数十回くらい旅に出るタイプだし、自分の男を束縛しないし、されたくないし、要するに変なやつだなと僕は思った。
「犬じゃだめなの?」
「犬は吠えなきゃじゃん」
なにそれ。僕は笑った。犬は吠えなきゃじゃんってなに。世の中の犬ってさ、吠えるのが辛いのかよ。全然知らないけど。
「魚は遊んでたらご飯くれるし、ご飯くれなくてもコケで生きていける」
「ああ、なるほどね」
ああ、なるほどねと僕はひとりごちた。それ以外に言う言葉が思いつかなかった。たぶん彼女は自由に生きたいんだろうなと。あったことないけど、たぶん綺麗な羽が生えてるんじゃないかな。どっかにふわふわ飛んでいきそう。
「猫も泣かなきゃだから、だめ?」
「うん」
僕は「泣かなきゃだから」なんてちょっと語彙がヤバイ言葉は好きじゃなかったけど、合わせて使ってみた。彼女は、「うん」と答えた。
「魚は何もしなくていいし、死んでもあまり迷惑かけない」
はは、お前そういうところくらいよな、と僕は言った。ちなみに彼女の名前はびっくりするくらい明るくて眩しい名前なんだよね。そのギャップに笑った。天使なのに暗いみたいな。はは。ウケるよね。
「お魚は歯磨きもしなくていいんだよ」
「それはいいな」
「お魚になろう」
「うん」
リズムよく会話が流れた。それはテンポよく続くテニスのラリーを彷彿とさせた。ぱーん、ぱーん。気持ちのよいドライブがかかり、気持ちの良い音が鳴っていた。
「君の相手はさ、どんな魚になればいいんだろうね」
「私はディスカスかコリドリスがいいな」
「へえ、俺が死んでディスカスになったらお前どうすんの?」
「やっぱメダカがいいかな」
バーカって言ってやった。意味がわからない言葉の応酬が続く。ラリーは続いているんだけど。
「お魚はなんでも好きだよ、かわいいし」
「バーカ、そういうことじゃないんだよ。」
「逆にマグロになって食べられたいってこと?」
「そういうことじゃないんだよ」
そういうことじゃないんだよ、と僕は強くいった。彼女は何もわかっていないのだった。女の子が魚になっていいわけないじゃん。
「本当に君は何もわかってないんだ」
「意味わかんない」
「28歳になれば君もわかるよ」
「そうなんだ」
「とにかく、私は誰よりも意味のある生き方するよ」
「かっこいいな、でもお前には絶対負けないからな」
そういって僕たちは電話を切った。ラリーは終わった。でもまだたぶん1セットぐらいだと思う。5セットマッチなら、まだはじまりのような気がする。