めぐりめぐる。

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なぜ俺は自分の不幸を綴るのか?

なぜ俺は自分の不幸を綴るのか。それはね、俺の不幸が俺自身面白いからだよ。幸せの種類というものは形は似ているが、不幸の形は様々あり、ドラマがある。というのが俺の持論だよ。

 

第一ね、世の中の大抵のことは語られてしまったわけ。歴史から大抵のことは学べるわけ。人の心は小説となり、心の傷は大地に刻まれた。俺はそれについて書く必要はないのよ。すでに多くのことが語られた。

 

歴史書がなぜ現代に至るまで残ったか。それは、時間の洗練を受けたからだ。時の流れを持ってなお、現代に残るもの。それは読む価値のある本であり、我々が享受すべきものだからだよ。

 

だからね、俺はね、すでに書かれていること、誰かがいったこと、もうわかっていることを書く必要はないと思ったんだよ。意味ないだろ?そんなことしても。SEOの仕組みや、うまい文章の書き方だって、すでに語り尽くされている。中国史を読めばそんなことはすぐにわかる。昔の文才のある学者が、筆舌しがたい文脈を残している。

 

もしくは奴隷制度があった時代の本を読めばいい。家事に追われている現代人が本当の文化を作ることはできん。全てを妻におしかけて創作にふけることができる夫がいるとすれば、可能かもしれん。ただそれも難しいだろう。本物の文化に奴隷制度は不可欠だからだ。奴隷が家事をやっている間に、物思いにふける時間がある者、それが歴史に名を残す可能性のある文人である。

 

だからね、俺は俺の話しかしないし、俺に興味のない人のことなんか知りません。人生は短い。足をひっぱるやつがいたら全力でぶちのめしますし、逆に協力してくれる人がいたら愛想を振りまいて、一生懸命一緒に仕事がしたいですよ。

 

結論としては、自分語りというのは一番大事ということだよ。

 

君の物語が、一番面白い。繰り返すけど、人の幸せというのはほぼパターンがあるけど、不幸は千差万別あるということ。

 

(ライティングタイムアタック : 6分34秒)